他人の心を傷つける人の超絶理論

私の母は、人の心を傷つける天才である。彼女が立脚する理論が明らかになった。

昨日、母が私に「真っ当な人とはどんな人か」と聞いた。
私は「人の心がわかる人」と答えた。すると母は怒りだした。
(流れから推測して「それはお母さんでしょ」と言われるのを期待していたのだろうとは思う。)
以下は、会話の記録である。
母「人の心なんて目に見えないからわかるわけがない。
  せいぜい察するだけ。
  わかろうとするなんておこがましい」
私「でも、察したら、傷つけないようにはすべきでしょ
  傷つけないのは大事なことでしょ」
母(ここで大きくかぶりを振った)
 「相手がどう思うかなんていちいち考えていたら
  身が持たない。暮らせない。
  傷つくか傷つかないかはその人の勝手で……」

吃驚。
母は今年で80歳。よくこの歳まで無事に生きてこられた
ものだ。よほど優しい人間しか、周囲に現れなかったのに
違いない。強運と呼ぶほかはない。

傷つくかどうかはその人の「勝手」なんだって。
自分がナイフを突き立てておいて、
痛いかどうかはその人の勝手……。
笑うしかない幼稚さである。

だけど、この超絶理論に接したことで、、
この人に、私がこの歳まで傷つけられ続けてきた
理由が飲み込め、晴れやかな気分にさえなれたのだ。

やはり、「能力」の問題なのだ、
他人の心がわかるかどうかは。

昨日の会話を検証してみると、どうやら母は
母なりに「人の心がわからない」ことに
劣等感をもっている。「察する」努力はするらしい。
しかし、相手の立場に十分立って考えることをしない、
つまり、自分に都合のいい方向にだけ想像するので
「察し」が外れるのだ。で、「わからない」感が強まる。
察するのに疲れる。考えても無駄だ、となって
浮かんだことを、それを言うことで相手がどう思うか
想像するプロセスを省き、そのまま口にする。
おそらく、母の発言が原因で、母の人生には
たくさんのトラブルが生まれてきたのだろう。
そのたびに、母は、自分を変えるのではなく、
正当化することで、つらさを回避してきたのだろう。
それも一つの知恵だし、生き方ではある。

他人の心がわからない、のは
暗算ができないとか、鉄棒の大車輪ができないとか、
それと同じことなのかもしれない。
できない人に、できないことを求めるのは
気の毒なのかもしれない。
こういう人と話して傷つきたくなければ
接触を絶つか、無理なら、
言われた言葉を宇宙語だと思って
意味をとらえないようにするのがよいと思う。

しかし、まあ、救いだと思うのは、
母はこんなにどうしようもない理論の持ち主だけれども
「思いやり行動」はできるのだ。
社会道徳、倫理観はある。
その「配慮」に基づいていたかに見えた行動が
「マグレ」であったことがついに昨日明らかになったのだが、
ど阿呆人間でも、「マグレ」で
思いやり行動ができる可能性がある、
というのは、なんとなく希望の光であるように思う。

母には実感できないようだが
「人の心を分かる」方法は、「察する」「想像する」で
間違いない。ただ、「十分に相手の立場に立って」という
条件が付くだけだ。

私は国語の教材ライターだから、
傍線部の主人公の気持ちだの、他の人物の心情だの、
作者の考えだのを読み取ってみてくださいという問題を
日夜作っている。「人の心を分かる人」の増殖計画は
こんな片田舎のおばちゃんのPCを通しても、ささやかに
実現に向かって動いている…つもりである。


母も父も、こんな最晩年になって、可愛がっていた末孫に
自死され、さぞつらかろう。老親に心痛を与えてしまい、
娘として本当に申し訳がない。





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