エンディングノートが流行しているらしいですが

以前、NHKで観たのですが「エンディングノート」というものが流行っているそうですね。折しも、江原啓之さんの「あなたは『死に方』を決めている」(中央公論新社)という本を読んだばかりのときで、そこにも「エンディングノート」の勧めがあったため、関心をもって番組を見始めました。でも、「?」と思いました。ちょっと違うなあ、と。

流行りの「エンディングノート」は「自分史」が中心になっているようです。
自分がどう生きたか、という「生きた証」を残すものだそうです。

「生きた証」、残したいんですかね、皆さん。
書いたものを残して、それで生きた証が残るんでしょうか。

記録は、読まれなければ無いと同じです。
生きた証を書きのこしたとして、
身近な人は読んでくれるでしょう。
でも、読んでくれる人たちも、
いつかはこの世を去るわけです。

自分を知ってくれていた人々もみんな死んだあと、
そのノートは、どうなるわけでしょう。

子孫が引き継いでくれる家はいいですよ、
何代も前のばあちゃんがどんな人だったか
子孫それぞれが、1回くらいは興味を持って
読んでくれるかもしれません。
やさしい子孫なら、仏壇の引き出しにでもしまって
代々のこしていってくれるかもしれない。
残るとしたら、こんな形で、でしょう。

でも、大半の子孫は持て余すでしょうね。
子孫の身になってごらんなさい。

江原さんの勧める「エンディングノート」は
延命措置や余命告知に関する希望、
臨終を迎えたい場所や
最後に食べたいもの、
葬儀や埋葬の希望、
財産の所在や処分方法など、
死後に家族が困らないために
本人の希望を書いておくというもののようです。

これならば、あれば便利ですから
書いておいた方がいいかもしれません。

うちの二男なんか遺書も残さなかったので
所有物だったモノをどうすればいいやら。
三年経とうとしているのに
まだ自宅の部屋はそのままです。

あとあと、長男が困るでしょうから
私が生きているうちに処分しようとは思いますが。
「モノをどうすればいいか」
という故人の希望は、書いてあったほうが
確かに家族は助かりますね。

  自分のモノを勝手にいじられるのを
  嫌がる子だったので
  どうしても手をつけづらいんですよ。

  気に入っていたモノ、
  大事にしていたモノ、
  いろいろあるんだろうと思いますが
  死ぬときは、本当に、
  何一つ持っていけないんですね。

私も、できるだけモノを残さないようにしなければ。
処分って、本当に大変な労力がいるんですから。

うちの老親なんか、部屋にも物置にも
不用品をつっこんでため込んでおります。
年を取ると自分で処分もできやしない。
その膨大な品々を、私がいつか始末するのかと思うと
今から息切れがしてきます……。

人間、元気でも、次の瞬間には死ぬ可能性があります。
だれだって、いつでも、です。だから、
「エンディングノート」を書く暇があったら
モノを一つでも減らしておく方がいいんじゃないでしょうか。



流行の「エンディングノート」は
死を意識して今をよりよく生きるために書くのだそうですが
今をよりよく生きるには
「自分を見つめる」だけでは足りないでしょう。
今をよりよく生きたいなら、
世の中をどうよくしていけるかを考えて
アクションを起こし続けていくことに尽きるんじゃないでしょうか。

魂は、客観世界(現実・日常・世の中・この世)を超えるけれども
今生きている人生は、客観世界に属します。
(客観世界からの離脱が「死」です)
今の人生をよりよくしたいなら
客観世界がよくなるように、働きかけなければならないでしょう。

「生きた証」を「この世」に残したいなら
「この世」のためになることを「する」のが
早道だと思います。

人の心や暮らしを支える何か。

有形・無形、規模の大小を問わず、
世に残っていくのは
そういうものではないでしょうか。







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