ヒトの脳は価値判断するから

ヒトを他の動物と区別するのに
「二足歩行」だの「火の使用」だの「道具の使用」だの
いろいろ言われるわけですが。

脳に「新皮質」があることも、ヒトの大きな特徴の一つです。
「価値観」の座ですね。
事象の中から、生存に「適・不適」を見分けて記憶し、
後で生かすことで、自然の中で非力でも
人類は存続できてきたのでしょう。
でも、その「適・不適」が「善・悪」に発展したあたりで
「価値観」自体が、人の苦しみの源になりました。
争いの種にもなりました。

で、仏教では「理非曲直のさかいを捨てよ」と
教えるわけです。
ものを「区別」しなければ苦しみもないという考えです。

これは確かに、目の前の苦を離れるには
効果的です。

けれども、ぼーっとしているうちに
他者の支配にとりこまれる危険も
あるんですね。

で、現実は「理」の世界です。
何らかの筋道に沿って構築されています。
そう想定してしまうのが
人間の「脳」が生む「価値観」ですからね。

人間としてこの世に生きている間は
「価値観」から逃れられません。
そういう脳をもつ肉体で生きているからです。

ですから。この世で
人が、本当に幸せになるには
「理」を整えるほかはない。
(現世では、の話です)

人間として、とるべき行動とは何か。
みんなが、「筋の通ったもの」を求めていますよね。
みんなが、納得する「筋の通ったもの」って、ありますよね。

「筋の通ったもの」を明文化して
万人に通じる、世界共通の「倫理」として
地球上のどの国の法律にも優先する「理(ことわり)」として
決めてしまえたらいいのに。

悪法であろうと
法の下に死ねるなら本望として
「刑死」を受け入れ
毒をあおったソクラテスは
そういうことを考えていたのではないでしょうか。
ソクラテスの時代はもとより、
現代に至っても
「法」は、まだまだとんでもなく未成熟です。
でも、人類の未来に希望があるとしたら
「法」の整備・確立でしょう。



文化によって価値観は異なりますが、
共通項はあるはずです。

・罪無き人を殺さない。
・人を侮辱しない。
・搾取しない。
・人の所有物を奪わない。
・ズルをしない。

基本は、このあたりではないでしょうか。
至極単純なことなのに
すでに、自分なら他者から「搾取」してもいい、
無断で「貰って」もいい、
自分は他者を「侮辱」してもいい、
戦争なら人を「殺し」てもいい、
人間なんだからズルしたくなって当たりまえ
そう思っている人が大勢います。
だから、
この世は濁世であり続けているんでしょう。

殺される側、侮辱される側、搾取される側に
立ってものを考えられない人が、
途方もなくたくさんいるんです……。

それは「能力」がないためで、しかたがないのだと
思い分ければ、今の自分の苦しみは
少し楽になる。
でも、直していかなければ。
わかるチカラのある人を一人でも増やしていかなければ。

だから、「この人、理不尽だな」と思うことがあったら
折を見て遠まわしに指摘してあげればいいと思います。
絶対にその場で受け入れてはくれません。
わかる細胞がないんですもの。
でも、教えてあげなければその人はよくなれません。
種を撒いておけば、イダイケのように改心する奇跡も
起こるかもしれません。



私は、
もう、人に生まれたくありません。
できれば次は
何か神通力みたいなものが少し使える存在になって
人間の心の悪い部分をほぐして回りたい。

望んでいれば、かなうでしょうか。


夢は、志した時点で九分どおりかなっている
――なんて、だれかどこかで言っていませんでした?







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