自分の存在意義って 2014年11月30日真宗講座

手次のお寺(檀家になっているお寺のことをこう呼ぶようです)のご住職が「今度の日曜にこんなのがあるから出て下さい」とチラシを持ってこられたので、頭数になりに行ってきました。
三条市東別院の真宗講座。

講師は、長岡市内のお寺の、40代の綺麗な坊守さまでした。
(住職の奥さまを「坊守」と呼ぶそうです)
例によって、お坊さんのお話なので
結論が不明。

ご自身の生い立ちから、お寺に嫁がれてからのことを話され、
そういう暮らしの中で、いろいろ法話の会に参加されて
感銘を受けた言葉をご紹介くださったり、
ほかの坊守さまのことを話されたり。

・法話の会の師に
「仏に願われている自分になる」とは
「自分の存在意義を見つけることだ」
言われて、感銘を受けたとか。

・ほかの坊守さまは
「いつでも寺を出る覚悟はできている」と若いころからおっしゃっていたが、
今ではそこでしっかりと務めを果たされている、
という事例を挙げられ、
「不生の生、不応の応」とはそういうことかなと思う、とか。

・「共に悩む」というあり方を教えられて楽になった、とか。

・「同じになれなくて申し訳ない」という立場でいればいい、とか。

違和感を感じる周囲の中で生きていく悩みを
抱き続けていく覚悟ができたかな、、、、
的なお話だったように思います。

よくワカラナイ。

ご自分でも
「関係性の中で生きて行くのが人間」だと
おっしゃっているのに。

  ………

あのですね。
「自分の存在意義」っていうのは
ひとさまがお決めになるものです。
その都度、その都度、
そのときどきで、
周囲にいる人が認めてくれることで成り立つのが、
「自分の存在意義」でしょう。

自分が気に入るとか気に入らないとかに
関係なく。
「自分の存在意義」に
自分の嗜好は介在できません。
「自分の存在意義」は常に「他者の目の中」に存在するものです。

それを自分で決めようとするから、悩むんですよ。
決められっこないものを決めようとするから。
ひとさまが決める「自分の存在意義」は
その都度、その都度変わります。
相手によっても全然ちがうものになります。
それで不都合があるんでしょうか。

周囲にとって自分がどんな存在か。
それが「なりたい自分」「在りたい自分」と乖離していても
気にしなくっていいんです。乖離していてあたりまえだからです。
他人の目の中で自分がどう映っていようが、
どうでもいいじゃないですか。
ただ、そのとき、自分が、相手に害をなすものでなければいい。
そのとき、もし目の前の人が困りごとをかかえていたらその手助けができればいい。
ただそれだけのことを心掛けて、日々を過ごせばいいだけです。

まさに
「関係性の中で生きて行くのが人間」です。
「関係性」というのは一瞬ごとに変わります。

「自分の存在意義」なんて、それこそ無限にありますよ。

「仏に願われているあなたになる」といったときの
「仏」は、真宗では「阿弥陀仏」でしょう。
阿弥陀仏は一切衆生を救おうという志を持たれているわけですから
その「仏」が「あなた」に願うことがあるとすれば
「あなた」が仏の身になって
周りの人を助ける、ということですよ。


それから、
価値観や立場の違う人と同じ場所に行けないことを
(嫌なものは嫌だと思う自分を)
「申し訳ない」と思う、でも「申し訳ないと思い続けていればいいのだ」
とおっしゃっていましたが。
   ↓
「みんなちがって、みんないい」と思う訳にはいかないんでしょうか。
みんなひとりひとりちがうわけでしょう。
同じ人でも
そのときそのときで変わるわけでしょう、成長したり、別のことに向かうようになっていったり。

自分は相手に交われないな、と思ったら
溶けこまなくていい。
「申し訳ない」なんて思う必要ありません。
で、違和感を感じても、
付き合いを閉ざさない。
排除するのでなく、「折り合い」をつける。
摩擦を感じるところに目くじらを立てるのをやめ、
ちがうところについて感心したり、あきれたりしながら、
共存していけばいいんです。

相手もおたがいさまって思ってくれればいいけど
たいていの場合、それは無理。
無理でも、自分は「おたがいさま」と思い続ければいいじゃないですか。

 *「みんなちがってみんないい」 は
  金子みすゞさんの詩の文句です。


さて。
この日の真宗講座で、「行った甲斐があった」と思ったのは
締めの組長の話です。
(「そちょう」と読みます。「くみちょう」ではなく。
県内の真宗大谷派の寺院は何組かに分かれてグループになっていて
私たちのところは第15組。その組長です。)
概要を記しましょう。

・お話の中に「不生の生、不応の応」という言葉があった。
 最近、それに関連することが、自分の身の周りに起きた。
・二男に車を買ってやった。19歳の保険料がばか高いのに泣かされた。
・車の販売担当の方はすごい美人だった。
 あとで妻に「あの人、ものすごくきれいな人だったなー」と言った。
・妻曰く「あの人、女の人だと思ってるの?名刺見てみなせえ」
・男性なのだと知った。
・驚くとともに、その人の今日までの来し方を思った。
 どんなにいじめられただろう、悔しい思いをしただろう、
 悲しかっただろう、でも、立派に社会人となり
 今は、お客に喜ばれる仕事ぶり。
・「不生の生」を生きるとは、こういうことだと心に落ちた。
 乗り越えて来られたことに、頭が下がる。
・同時に、人間は、外見からだけでははかりしれない
 深い重い苦しみを負っているものだということを、
 心に留めていかねばと思った。

おみごと。
たかだか3分足らずのスピーチでしたが
伺って、涙がはらはらとこぼれました。

講座を聞いて、その中で引用された言葉を
受け、身の回りから具体例を挙げて深化させ、
これからの自分たちの在り方の指針もきっちり示されています。

すごーい。すごいすごい。
短時間で、ここまで構成のしっかりした話のできるお坊様がいらした。
笑わすところあり、泣かせるところあり。
「まとまりのある話し方」のお手本です。
プロフェッショナル、の一言です。


ありがとうございました。











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