贅沢な悩み 延命治療を拒否する年寄り
昨日のNHK「あさイチ」で延命治療についてやっていたんですけど。
・口から食事がとれなくなった病人に
経鼻管とか胃瘻とかで栄養を摂らせる。
・自発呼吸ができなくなった病人に対し
気管を切開して人工呼吸器を付ける。
などが、いわゆる≪延命治療≫だということらしいです。
で、番組のレポートでは
そういう病人を看取った家族は
延命治療を施した人も
拒否するという本人の意思に従って延命治療を施さなかった人も
どちらも後悔する、という内容でした。
病人の生殺与奪の権を握るっていうのは
重いことのようです。
歳をとってくると、大抵、誰でも言いますよ。
「延命治療は一切拒否する。そこまでして生きていたくない」。
↓
常日頃そう言っていた人物がいざ、死に瀕すると
家族は迷うわけです。
本人はそう言っていたからこのままいかせた方がいいのかも。
でも、延命治療をしなければ自分たちが殺すようで嫌だ。
癌などで余命がわかっている病人は
間際まで意思を確認できるけれど
大抵、するしないを決めねばならないとき、本人は人事不省です。
家族の意思にゆだねられる。
ゆだねられても困るから、家族はぐちゃぐちゃに迷ってしまう。
はあ。
切実なことなのでしょうけれど、
医療体制の整っていない国や地域から見たら
贅沢な悩みです。
間際まで本人の意思が固ければ拒否すればいいし、
本人が人事不省で、家族が延命治療したければすればいいし、
家族が、本人、したくないだろうな、意思を尊重してあげたいな、と思ったら
拒否すればいいだけのこと。
施すだけの経済的余裕がなければ
申し訳ないと思いながら、
心を込めて看取ってあげる。
人の生き死に、全部が天運です。
流れのままに生まれてきて、
流れのままに死んでいく。
家族が決めるのだって、天が、家族の心にささやいて
決めさせたんだって思ったらどうでしょう。
経済的余裕がなくて施せない場合にしても、
それが本人の運というものです。
誰にも責任なんかない。
罪悪感なんて感じなくていいでしょう。
それに、「延命治療」って大げさに扱われすぎではないでしょうか。
伯父が今、誤嚥性肺炎で入院し、経過はいいのですが
老衰もあって自分で物を食べようとしないので
胃瘻になりました。
初めは胃に穴を開けることに抵抗があったので
経鼻管栄養でしたが、じゃまくさそうなので
最近、胃瘻にしたそうです。
いわゆる「延命治療」ですけど、
本人は認知症なので気にしてないし、
穏やかで、会話もできるし。
悲壮感なんて微塵もありません。
「延命治療」「延命治療」って、世間の人が
大げさに捉えすぎじゃないんでしょうか。
見舞いの人間が
「おじさん、もうすぐ90歳だってね。
100歳まで生きなきゃね!」と言えば
「おう、人間、死んだらおしまいだ」
と返す伯父です。
「死んだらおしまい。人間っていうのは、そういうもんです」と繰り返す伯父。
(→認知症の人が言ったので、
仏さまの言葉のように聞こえました。)
生物は、生きたがるのが基本。
そう思ってもいいんじゃないでしょうか。
↓↓↓
私がイラつくのは、健康な老人が延命治療を拒否するときに言う
「そこまでして生きていたくない」というフレーズです。
実際に、消えそうな命を大切にして
最後まで生き抜こうとしている人に失礼です。
「尊厳を保って死にたい」とか。
不遜臭がプンプンします。
二男を自死で亡くした人間だから思うのかもしれないけれど、
死に方を、自分で選ぶのは、反則ではないでしょうか。
意に染まぬからと言って人生を投げ出す、それはマチガイです。
人生という時間は、心や魂を磨くための修行の時間です。
嫌だから、思い通りでないから、と言って
投げ出していいものではありません。
皆さま、今日もお疲れさまです。
・口から食事がとれなくなった病人に
経鼻管とか胃瘻とかで栄養を摂らせる。
・自発呼吸ができなくなった病人に対し
気管を切開して人工呼吸器を付ける。
などが、いわゆる≪延命治療≫だということらしいです。
で、番組のレポートでは
そういう病人を看取った家族は
延命治療を施した人も
拒否するという本人の意思に従って延命治療を施さなかった人も
どちらも後悔する、という内容でした。
病人の生殺与奪の権を握るっていうのは
重いことのようです。
歳をとってくると、大抵、誰でも言いますよ。
「延命治療は一切拒否する。そこまでして生きていたくない」。
↓
常日頃そう言っていた人物がいざ、死に瀕すると
家族は迷うわけです。
本人はそう言っていたからこのままいかせた方がいいのかも。
でも、延命治療をしなければ自分たちが殺すようで嫌だ。
癌などで余命がわかっている病人は
間際まで意思を確認できるけれど
大抵、するしないを決めねばならないとき、本人は人事不省です。
家族の意思にゆだねられる。
ゆだねられても困るから、家族はぐちゃぐちゃに迷ってしまう。
はあ。
切実なことなのでしょうけれど、
医療体制の整っていない国や地域から見たら
贅沢な悩みです。
間際まで本人の意思が固ければ拒否すればいいし、
本人が人事不省で、家族が延命治療したければすればいいし、
家族が、本人、したくないだろうな、意思を尊重してあげたいな、と思ったら
拒否すればいいだけのこと。
施すだけの経済的余裕がなければ
申し訳ないと思いながら、
心を込めて看取ってあげる。
人の生き死に、全部が天運です。
流れのままに生まれてきて、
流れのままに死んでいく。
家族が決めるのだって、天が、家族の心にささやいて
決めさせたんだって思ったらどうでしょう。
経済的余裕がなくて施せない場合にしても、
それが本人の運というものです。
誰にも責任なんかない。
罪悪感なんて感じなくていいでしょう。
それに、「延命治療」って大げさに扱われすぎではないでしょうか。
伯父が今、誤嚥性肺炎で入院し、経過はいいのですが
老衰もあって自分で物を食べようとしないので
胃瘻になりました。
初めは胃に穴を開けることに抵抗があったので
経鼻管栄養でしたが、じゃまくさそうなので
最近、胃瘻にしたそうです。
いわゆる「延命治療」ですけど、
本人は認知症なので気にしてないし、
穏やかで、会話もできるし。
悲壮感なんて微塵もありません。
「延命治療」「延命治療」って、世間の人が
大げさに捉えすぎじゃないんでしょうか。
見舞いの人間が
「おじさん、もうすぐ90歳だってね。
100歳まで生きなきゃね!」と言えば
「おう、人間、死んだらおしまいだ」
と返す伯父です。
「死んだらおしまい。人間っていうのは、そういうもんです」と繰り返す伯父。
(→認知症の人が言ったので、
仏さまの言葉のように聞こえました。)
生物は、生きたがるのが基本。
そう思ってもいいんじゃないでしょうか。
↓↓↓
私がイラつくのは、健康な老人が延命治療を拒否するときに言う
「そこまでして生きていたくない」というフレーズです。
実際に、消えそうな命を大切にして
最後まで生き抜こうとしている人に失礼です。
「尊厳を保って死にたい」とか。
不遜臭がプンプンします。
二男を自死で亡くした人間だから思うのかもしれないけれど、
死に方を、自分で選ぶのは、反則ではないでしょうか。
意に染まぬからと言って人生を投げ出す、それはマチガイです。
人生という時間は、心や魂を磨くための修行の時間です。
嫌だから、思い通りでないから、と言って
投げ出していいものではありません。
皆さま、今日もお疲れさまです。
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