自分の存在意義って 2014年11月30日真宗講座 手次のお寺(檀家になっているお寺のことをこう呼ぶようです)のご住職が「今度の日曜にこんなのがあるから出て下さい」とチラシを持ってこられたので、頭数になりに行ってきました。 三条市東別院の真宗講座。 講師は、長岡市内のお寺の、40代の綺麗な坊守さまでした。 (住職の奥さまを「坊守」と呼ぶそうです) 例によって、お坊さんのお話な… トラックバック:0 コメント:0 2014年12月02日 続きを読むread more
仏には人がなる 徒然草にも 徒然草第243段。最終段です。 八つになりし年、父に問ひていはく、「仏は如何なる物にか候ふらん」といふ。 父がいはく、「仏には人のなりたるなり」と。 また問ふ、「人は何として仏にはなり候ふやらん」と。 父また、「仏の教えによりてなるなり」と答ふ。 また問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教へ候ひける」と。 また答ふ、「それ… トラックバック:0 コメント:0 2014年11月25日 続きを読むread more
エンディングノートが流行しているらしいですが 以前、NHKで観たのですが「エンディングノート」というものが流行っているそうですね。折しも、江原啓之さんの「あなたは『死に方』を決めている」(中央公論新社)という本を読んだばかりのときで、そこにも「エンディングノート」の勧めがあったため、関心をもって番組を見始めました。でも、「?」と思いました。ちょっと違うなあ、と。 流行りの「エ… トラックバック:0 コメント:0 2014年06月25日 続きを読むread more
稲盛和夫「生き方」を読みました 老母が連れて行けというので本屋に行ったら、平積みされていました。母は「これ、話題になってるんだよね」と言いながら買わなかったのですが、私は興味をもったので、後でセブンネットで注文しました。 サンマーク出版 2004年 届いた本は、奥付に2013年6月1日第八十八刷とあります。ずいぶん版を… トラックバック:0 コメント:0 2013年06月10日 続きを読むread more
高村光太郎はやっぱりすごい詩人 国語の問題を作るにも著作権の関係があるため、詩などは没後50年以上の詩人の作品から採ると面倒がありません。で、買ってみた高村光太郎詩集(新潮文庫・伊藤信吉編)。 「自然と一体化した境地」といわれますがその通り。 智恵子抄は有名だし、ほかにも、いろいろ いい作品があるのですが 今回、特に心に来たのがこれでした。同書176-17… トラックバック:0 コメント:2 2013年05月12日 続きを読むread more
人は人を助けるために ――生きる意味 老母が、朝のグチグチ話の中で、「もう何のために生きているんだかわからない」と言うので、仕方なく「それじゃーわたしのために生きて」などと殊勝なことを言ってしまいました。 心にもないことだったのに、どうして言っているんだろう、だってほかにどう言えばいいんだね、と思いながら廊下を歩いてきたら 人は人のために生きているんですよ … トラックバック:1 コメント:0 2013年03月28日 続きを読むread more
思い出の使い方 ボケモン(呆けっとモンスター)進化中の老親と暮らしていると、振り回される感は常にあります。8時半の時点では「今日は○○さん(=かかりつけの内科)に行く日。午後に行く。」と言って運転・付き添いを頼んだくせに、10時半に身支度をしてやってきて「じゃあ、頼むね」と。医院には予約しているわけじゃないので、何時に行ってもいいんですけど。「午後じゃ… トラックバック:0 コメント:0 2013年02月15日 続きを読むread more
「~に帰命」「~を帰命」考 勤行集和讃 先月、二男の月命日に来ていただいたお寺の方との お茶飲み話で、 勤行集の「和讃」の中には 「~に帰命せよ」「~を帰命せよ」の二通りがあるね、 という話題になりました。 そのときは「に」でも「を」でも そんなに変わりはないんじゃないの、 ということで終わりました。 仏教では「さかしら」は排斥されるので 分析すると… トラックバック:2 コメント:0 2013年01月19日 続きを読むread more
齋藤孝「人はなぜ存在するのか」を読みました 2012年12月25日発行の齋藤孝「人はなぜ存在するのか」(実業之日本社) 発行日から拝察するに、近年の若い人たちの心について問題意識の高い齋藤先生が、生きづらさを感じている人たちになんとか幸せになってもらいたいという願いをこめ、クリスマスプレゼントということで出版なさったのかもしれません。 「人はなぜ存在するのか」、に対して お… トラックバック:0 コメント:0 2013年01月15日 続きを読むread more
一周忌を過ぎて 人生の意味 夜明けはどんどん遅くなり、日暮れはぐんぐん早まって 鬱病の人には厳しい季節になりました。 先月、二男の一周忌の法要を行いました。 法要、といっても、家族だけで、家の仏壇の前に集まり ふだんの月命日のようにお寺のご住職からお経を読んでいただいただけですが。 それなりにお供え物を調えたり 焼香台を買いに行ったり 金封を… トラックバック:0 コメント:2 2012年11月10日 続きを読むread more
震災と哲学、人生の価値 震災後、哲学の中島義道先生が子供向けの哲学書を2冊出されました。 なぜ生きなければいけないかという答えの出ない問いを問い続けることが、 生きる力になるからだということです。もっともなことです。ただ、 その問いは科学万能思想、自由絶対思想などに結びつくと虚無に陥り、 人生に価値なしという思いに向かいます。 それは、死にたい人がよ… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月23日 続きを読むread more