在宅看取りがしやすい社会にならないかなあ

84歳になった老父が、日に日に衰えてきています。老母が先月、かかりつけ医に「(老父が)寝てばかりいる、囲碁にも出かけなくなった」と愚痴ったために、老人性うつだろうということでパキシルを処方されたのですが、二男のときとはちがって落ち込んで気力がないという感じではなく、動かなくても微妙に快活だったため、私は鬱じゃないと思い、飲ませないでおきました。
本当に鬱じゃなかったみたいです。ぼけたみたい。現実認識も筋力も衰えて。つまりは老衰まっしぐらなんでしょう。

昨日、所属している囲碁の会の会費を送付する際、近況報告もすることになっていたらしく、老父は、午前中いっぱいかかって用紙に書きつけておりました。「ご無沙汰しております。ご苦労様です。……今後ともよろしくお願いします。」と、書き出しと結びは一丁前でしたが、中身が、ですね、近所に火災があったとか、孫が大勢いてその方面のつきあいが大変だ、とか、旧制中学の同窓会の役員を頼みこまれたが断ったとか。事実無根のことばかり。パラレルワールド。もはや別世界の住人になってしまったようです。
妄想ってやつですかね。

二世帯住宅のように住んでいるので台所は別です。けさは、老母が「もろきゅう」にするため、味噌の容器を食卓に出しておいたら「また赤飯をもらったのか?」と言ったそうです。

こんなふうに頓珍漢なことは言うけれど、機嫌は悪くないし、まだ私の顔はわかるらしいし、風呂もまあ自分で入るし、トイレも自分で行くし。それ以外は横になっているのですが、足腰が弱っているし、しょっちゅう痰も出るから、寝ていたほうが楽なんでしょう。
歳なんだから、衰えるのはしかたがないです。

ぼけの進行を遅らせる薬もあるようですが
脳に作用する薬は信用しない。
ぼけは天の配剤です。
化学薬品でどうこうしようと思っても
本人の苦しみが長引くだけだという話も
聞いたことがあります。

老母は心配だ心配だとぐちぐち言うのですが
心配したってしかたがない。
人間、歳や持病に関係なく、だれだっていつ死ぬかわからない。
老衰だろうが、健康だろうが、です。
だから、いつでも、心をこめて世話していればいいでしょう。
すべきことを一生懸命やっていれば、相手が先でも自分が先でも、納得して死を受容できるんでしょう。

そんなに心配なら医者に診せればと老母に言えば
私の意見は煩わしいらしく
常々、医者には行かないと言い張っているから
行くはずがないと言います。

自然に看取るにしても
それなりに看取り専門のお医者さんなどを探して
かかっていたほうがいいのになあと
私は思うのですが、そう言ってみても、
老母は聞く耳を持ちません。
この人も、もうけっこうぼけていて、
自分の思ったこと以外の情報を受け付けないアタマになっているんです。
「旦那が死ぬ」ってことを受容したくないフシもありますね。

もうちょっとたって、二人ともぼけきったら
私がいいようにしてあげようと思っています。

かかりつけ医は延命に走りそうな人だし。
ネットで見ても
老衰の人を定期的に診に来てくれそうな
医療機関が近くになさそうだし。

いまは難しいなあ。

今の老父の状態で介護認定はされないだろうし、
もとより本人のプライドが高いので
認定なんてされたくないはず。

認定がなくても、
一定以上の年齢になったら
定期的に
出張健康診断に来てもらえる制度があるといいなあと思います。


在宅の自然の看取りが普通の社会になるように、
厚生労働省は動き始めたようなので
期待しています。







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