遺言状の「効力」? 遺志を踏みつけに

遺言状の表現によって、銀行や法務局が相続を認めてくれたり認めてくれなかったりする。
「全ての財産をAに——。」
この——の部分が
「相続させる」「譲る」なら、「与える」意思が明確なので○で、
「委ねる」「託す」などは、単に手続きを任せるだけかもしれないので✖なんですって。
わざわざ遺言状を書こうって人が「単に手続きを任せるだけ」っていう意思を書き遺すとも思われませんけどね。
発端は「負の遺産」を受け継ぐか否かをめぐっての判決なんですかね。
それを前例にして、その後、大金持ちの人が「委ねる」「託す」と書き遺したのを
自分に有利にしようと思った欲深な相続人が、表現が曖昧だから「無効だ」と言いたてた。
 ↓
それがまた前例となって常識化していき、
銀行や法務局は「厳密な表現」でないと手続きしなくなった、ってとこでしょうか。
 ↓
遺言状って、もともと、故人の遺志表明のはず。
相続法だって、「遺言状」とわかる内容+日付、名前、押印だけを条件にしてる。
表現の決まりなんて条文にはないです。
今は法務局で自筆遺言証書を預かってくれるようになり
その預かるための書式には表現に厳密さを求めていますが
それも「前例」「常識」を踏まえた後付けでしょう。

裁判所でする自宅で書いて保管されていた遺言の検認も
「効力」を云々するのが目的ではありません。
あくまで故人本人の遺志であることを認めるのが目的で
検認するんです。

せっかく書いたのに
「効力がない」、と法律家や銀行家やお役人に言い切られる。
思いを込めて書いたものを「無意味な紙きれ」と断言される。
法律の知識のない者が無駄な紙きれを遺した、と嗤われる。
その故人の無念さたるや、想像を絶します。
心ある人間なら、そんな無情なことはできない。
(人間の恨みほど恐ろしいものはありません。
 それは「現実」を超えて届くでしょう。)

前例主義。頑迷固陋。
厳密さを求めれば包容力を欠く。
事案はいつだって個別だし、
時代はどんどん変化して新しい事態が生まれ続けているのに。
「温故」は大切だけど、「知新」につなげねば世の中よくなっていきません。
人の思いを踏みつけにするのは、よくありません。

皆様
本日もお疲れさま。
おやすみなさい。




"遺言状の「効力」? 遺志を踏みつけに" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント