理想の老後 あるいは、迷惑をかけないということについて 自分は何もしなくても三度三度おいしい食事が出てきて、片付けもしなくてよく、ごみ出しも掃除も洗濯も誰かががやってくれて、自分はただ、気の合うひととおしゃべりしたり、趣味を楽しんだりして暮らしていける。 ――これが、老母(84)の描く理想の老後の形のようです。 私も五十代半ばを過ぎ、特に健康に不安はないものの、いつどうなるかわかりま… トラックバック:0 コメント:0 2016年03月12日 続きを読むread more
亡き二男の誕生日 生きていれば24歳。年男でしたね。 死んだ子の年齢を数えても仕方がありませんが。 文化の日は、晴れが多いように思っていましたが きょうは雨。冷たい雨でしたね。 全日本剣道選手権大会で優勝したのは 筑波大学3年の選手でした。 学生での優勝は四十数年ぶりの快挙とか。 筑波大学3年。 二男が死んでしまったときと … トラックバック:0 コメント:2 2014年11月03日 続きを読むread more
Please be carefully 自死した二男の最期の言葉 フリーで仕事をしていると、世間様がお休みの時期にせっせと作業することになります。今年もおかげさまでお仕事しながら年越しさせていただきました。 忙しいのはありがたいです。年末年始に二男がいないのを少しはまぎらわすことができるので。 今日はひまになり、お昼にテレビをつけました。 大阪の,体罰で自殺した高校生の話題を身につまされなが… トラックバック:0 コメント:0 2013年01月11日 続きを読むread more
自分を死なせないで 自明のことですが、殺人は、対象者がその先の現実を体験する中で得る可能性のある有益な機会を奪いつくす、無慈悲な行為です。遺族にも深い悲しみと憤りを与えます。そして、自死も、対象の自己は人ですから、殺人です。死なす自分と、死なされる自分に分けた場合、死なされる自分は、その先現実を体験する中で得る可能性のある有益な機会の一切を奪いつくされてし… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月02日 続きを読むread more
自死につながる「自我」「自由」「平等」 近代的自我は明治以降の移入とされているが、もの思う我は奈良時代から、この国で歌を詠んでいた。存在の不安による自死がクローズアップされるのは藤村操以降と思われるが、それは、自我の移入というより、自由思想移入の影響のほうが強いのではないか。 「近代的自我」を検索したら、おおむね、日本では明治時代以降移入されたとなっている。養老孟司先生… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月01日 続きを読むread more
いのちは自分の「所有物」だろうか? 昨日「死んでほしくない理由」というタイトルで書き込んでから「自死 いけない理由」で検索したら、昔から大賑わいの話題だったのですね。論理的に納得できる答えは出ない、ってことになっているけれど、だから、それは客観世界を超えて大きい「いのち」の問題について、客観的な言語を使って答えを出そうとしているからじゃないんですか? だいたい、その議論の… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月30日 続きを読むread more
死んでほしくない理由 鬱病の人にとって、死が身近なものなのはわかります。 衣服を脱ぐ程度に、気軽な感じなのはわかる。 「衝動」というよりか「気分」なんだと思う。 でも、死んではいけません。 本っっっ当に、取り返しが付かないから。 鬱病の人は、優しくてまじめです。 とてもよい人格の持ち主です。 それなのに、自死すると、 卑怯でワガママで愚かな人… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月29日 続きを読むread more
自死をなくすために 理性重視、自由重視の教育は、戦争への反省から生まれました。 方向はよかったけれど、進む中で、非効率的、非科学的、 教化主義的なものが排除されてきました。理性は存在の無意味さへ の気づきに行き着き、自己の自由を謳歌しようとすれば他者と ぶつかり、もともとつらいのが標準形の人生が、益々つらく 感じられます。そこで死にたくなった人は… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月26日 続きを読むread more
死んではいけません 突発的・衝動的だったらしく、二男は遺書も残しませんでした。 何の冗談かと、怒ったり泣いたりして5ヶ月。 自分自身、やはり19歳ごろでしたが、似たような心理状況の経験があるため わからなくはないような気もするんです。 でも、わたしはしなかった。 二男に死なれ、先月まで、自死とは何かを考え、 どうすれば防げるのか、ないアタマをぎ… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月23日 続きを読むread more